設立に至るまで
理事長の話
語り:黃琢嵩 まとめ:詹慶臨、俞婉珍
  十数年前、当時2歳強の私の息子宸宸は原因不明の発熱で入院し、服薬後皮膚に水泡ができ始めた。第3度の火傷の様に全身の皮が剥けて化膿し、体内の粘膜組織は全て壊死、少しの薬や水でも口に入れば極度の痛みを伴う状態だ。

 聞き分けの良い宸宸は両親を心配させない為に、薬を少しずつ飲み込み、ひと口ひと口が焼ける様な痛みであるのに我慢した。この言い様のない病は彼の優しい性格を顕著にし、同年齢の子供とは思えないくらい見ていて心を抉られる様で、そこに横たわっているのが私ならばどんなに良いかと思った。聞き分けが良いだけに大人でさえ耐えられない痛みを受け続けている息子が忍びなく、神に宸宸を昏迷状態にさせて痛みを和らげて欲しいと願わずにいられなかった。
当時、医師は全く原因を見出せず、私はただ自分で各種の関連書籍から答えを探すしかなかった。ついに宸宸と似たような症状を探し出した時、その情報を手にして医師を訊ねた、医師は見ても何も言わず、すぐに宸宸に使用しているすべての薬を取り換えた。しかし間に合わなかった。
  私は本来自分しか信じず、ただ努力さえすれば成し得ないことは無いと思っていた。しかし宸宸がこの様にどうすることもできない状況に遭って、自我が崩壊しそうになった。この時、私は妻の信仰と共にイエス・キリストという神を探し求めるしかなくなり、息子の為に断食して祈り、神に治療を求め始めた。祈りの中で私は神に一つの異なる像を見せられた:果てしない炎の湖に人の魂が1つまた1つと下へ落ちていくが、そこでイエス・キリストの十字架によって救われる。この時空中で一つの声が聞こえてきた:「あなたがもし私に心を開かないならば、永遠に火刑の中にいるであろう」。私が求めるのは我が子の治療であるのに、何故これを見たのかとこの情景に震撼した。後に分かったが、私が対処すべきは信仰上の強さであった。実は伊甸で働いて数年、毎朝早くに聖書を読み、牧師の話を聞き、更に創立者である劉侠さんの剛毅で喜びに満ちた生命の影響を受けて、私は次第に天と地の間には私の愛する一人の神がいることを感じるようになった。神は知恵と権力、そして能力の主であり、神は私がぐるりと回って共に安全な帰路に向かうのを待っているのである。このような異変を経て私は神の呼び掛けを感じ、洗礼を受けて神の名の下に帰すことを決めた。

  私が宸宸を重患病室に送る時、常に傍にいることができない為、彼が孤独を感じて怖がらないかを心配し、神に求めて言った:「もしあなたが本当に宸宸を連れて行ってしまうのなら、どうか彼の為に私と彼の母と同じような天使を2人探してやって、私たちと別れ別れになる気持ちにさせないで下さい」、すると神は私の祈りを聞き入れ、多くの兄弟たちが宸宸の為に祈っている時に2人の天使が彼の手を引いて楽しげに離れていくのが見えた。

   十数年経ってもずっとこの病にかかった人は治療する薬が無いと思っていた。しかしニュースで重い後遺症を抱えながらも生きている人がいることが分かった。ともすれば神は私にこうした経験をさせ、私がSJS患者の苦痛をより身近に感じることを意図したのかもしれない。正に神の巧妙な計らいによって、私は長庚病院の鐘文宏医師と出会ったのかもしれない。

 鐘文宏医師は国内のSJSの権威であり、長庚病院薬物アレルギーセンターの主任である。彼は外来診察時にはいつも根気よく患者の苦痛や詳しい事情に耳を傾け、その内一人のTEN患者である徐士烘さんが患者会の成立に尽力しているのを励ました。そして団体の力で互いに励まし支え合い、患者の権益を勝ち取ることを希望していた。
  
  1つの組織を成立させるには煩雑な手続き以外に、多くの行政的作業と企画の執行が必要なのだが、徐士烘さんは普通の労働者であってそういった経験は乏しかった。しかし彼はただ“二度と同じような被害者が出ないように”という一心で患者会の設立に立ち上がったのだ。そして鐘医師は病院での診察、治療、SJSの研究以外にも医学学校へ赴いてSJSの啓発授業も行った。更には度々国際シンポジウムに参加して交流と経験を深めていったが、気持ちが十分でも力不足は否めないのであった。そこで私たちは患者たちに応えるべくこれに同調し、伊甸の長年にわたる福祉の専門的経験を通して患者会の育成に協力してSJS専門情報作業所を設立し、国境と時間の制限を越えて急を要している家族や医療に携わる人々に手を差し伸べ、また一般民衆にSJSの基本的知識を持ってもらうようにした。
聖書では:「 万事互いに尽力し、神を愛する人々に利点を与える」という。私の息子宸宸と多くの患者が相次いで亡くなり、家庭に巨大な痛みと傷をもたらしたが、もしこうした境遇があって医学界に「SJS」病症の重視を喚起し、政府や学会と公益の力の結合を進め、共に治療の発達の為に努力し、この病を患った人全てが直ちに適切な治療を受けられるならば、遺憾な思いも報われる。こうした努力はかつて災難に遭った患者の犠牲を無駄にしないだけでなく、故人の家族の心を慰めることもできる。これもまた我々が「SJS患者会」設立した初志である。

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